べっぴんさん|紀夫は戦死?戦争からいつ戻る?坂野通夫は?

 

朝ドラ『べっぴんさん』では、すみれと結婚した紀夫(永山絢斗)に

赤紙が届き出征することになります。

 

時は昭和19年(1944年)3月ですから、既に戦局は悪化して

日本は敗戦へ向かってまっしぐらの時期です。

 

しかも当時すみれは妊娠7ヶ月ですから、紀夫にとっても

このタイミングでの出征は気が気ではありません。

 

そんな中、生まれてくる子どもの名前をすみれに託して

彼は戦争へ向かうことになります。

 

しかし終戦を迎えてもなかなか帰ってきません。

 

その2年前に出征した野上潔は昭和20年(1945年)10月に帰国しますが、

紀夫に関してはその消息すらわかりません。

 

幼いさくらを抱えるすみれは心を痛めますが、彼の両親でさえ

戦死を覚悟することになります。

 

このような展開になってしまいますが、実はこのあたりはモデルとなった

坂野通夫の実話に基づくエピソードなのです!

 

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(すみれ丸)

 

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紀夫は戦死?戦争からいつ戻る?坂野通夫は?

 

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坂野惇子の夫の通夫は、昭和18年(1943年)10月に戦地に

向かうことになります。

 

惇子と結婚してから2年弱、娘の光子(てるこ)が生まれて

ちょうど1年後のことでした。

 

当時の彼は27歳で遅い召集となりましたが、実は中学生の時に

胸膜炎を患ったことから、徴兵検査は乙種合格

 

つまり平時なら召集はされないのですが、もはや当時は戦局の悪化から

軍も人員不足で乙種合格者まで赤紙が届くことになります。

 

しかも通夫にとって幸いだったのが兵隊としての徴用ではなく、

軍属(あくまでも民間人扱い)での徴用だったことです。

 

そのため赴任先も比較的安全だったインドネシアのジャワ島となりました。

 

ビルマやニューギニアでは大勢の戦死者が出たことから、

これはかなりラッキーでした。

 

そこでは彼は運輸課の配属となり、海軍の人員や物資を輸送する業務を

担当していました。

 

そしてジャワ島のジャカルタで終戦を迎えることになり、

占領軍として侵攻してきたイギリス軍に拘束されることになります。

 

他の兵士や軍属たちは次々に帰還船で日本に復員していきましたが、

通夫の帰国は許されませんでした。

 

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彼は京都帝国大学卒業のエリートで、流暢な英語を話せたことから

英印軍の通訳を命じられたからです。

 

しかも当時のインドネシアは日本の占領下で独立の準備が進められていましたが、

旧宗主国のオランダが再び支配権を取り戻し、イギリスもそれを支持したことで

極度の混乱に陥っていました。

 

そのため彼の帰国も遅れ、昭和20年(1945年)10月にすみれ丸で

ジャカルタを出港し、日本に帰国したのは21年の4でした。

 

終戦直後は激務やビタミン不足でかなり体調も悪く

惇子に手紙も書けなかったのですが、出航前に彼女に

すみれの花が咲くころには帰れそうだ」との手紙を送っています。

 

このような経緯を辿った坂野通夫の帰還ですが、ドラマでも同じような流れに

なりそうです。

 

少なくとも戦死することはありません。

 

すみれの夫の紀夫の帰国も昭和21年で、彼女たちがベビーショップあさやを

開店した後のことになりそうです。

 

そして消息が不明で戦死も覚悟するすみれの下に、

「桜の花が咲くころには帰れる」といった手紙も届きそうですね。

 

ただしドラマでは終戦後のエピソードは満載ですから、

紀夫の帰国も第7週目あたりになるでしょう。

 

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